シューマッハの風に吹かれて(Blowin' in the Wind of Schumacher)

日本でも少しずつ認知度が高まってきたSchumacher College(シューマッハ・カレッジ)大学院。しかし、まだ日本人の参加者も少なく、日本語での情報も少ない為、その実態が掴み辛いのが現状です。 そこで、少しでもシューマッハ・カレッジ情報を国内で広め、多くの方に興味を持ってもらいたいと思って始めたブログです。

僕はこうして英語アレルギーを育んだ⑦ ~社会人時代~

 

え、外資系!?

 

振り返ってみると英語アレルギーになったのは10歳だったので、新社会人になる頃には既に10年以上の英語アレルギーキャリアを持つ大ベテランである。そんな私の就職先となったのは、米系コンサルティング会社だった。日本帰国以来、一度もアメリカ本土に足を踏み入れていない私がアメリカ資本の会社に入るとは、人生は何が起きるか分からないから面白い。ちなみに、この会社に入社したのは、もちろん外資系だからではなく、コンサルティングという仕事そのものに惹かれていたからである。

 

この会社に入るのに英語力は必要なかった。また、仕事もほぼ全てのクライアントが日本企業だった為、英語を使うことはなかった。時々、全社員メールが英語で送られてくるが、内容が分からなくても全く業務に支障がなかったので、やはり英語力は必要なかった。一般的にイメージされるような、外国人の上司がいて、クライアントも外国人で、といった外資系企業とは全く異なる会社だった。

 

しかし、そんな会社でも2つだけ英語力が必要になるタイミングがあった。1つ目は昇進時、2つ目は海外研修時だ。1つ目の昇進時については、予め定められたTOEIC点数をクリアしなければいけないというものだった。あまり高い基準ではなかったが、仕事で使いもしない英語が昇進条件とは納得がいかないが、ルールだから致し方ない。2つ目の海外研修時については、昇進するタイミングで海外研修を受ける必要があるのだ。この研修には、海外各国から同じ職位のメンバーが集まって研修するのだが、もちろん全て英語を使用する。

 

トラウマ

 

私にとってはこの海外研修が鬼門だった。何故ならば、研修を受けるときのシチュエーションが、アレルギーを植え付けられたアメリカで授業を受けていたときと酷似していたからだ。外国人とグループを組んで、みんなでディスカッションをして、グループとしての結論を出す。まるで、昔に経験した内容と全く一緒ではないか!!いわゆる、デジャヴだし、トラウマである。その状況に身を置くだけで、自然と嫌な感情が芽生え、体が硬直してくる。

 

研修中は貝のように閉じることが多かった。そして、研修後のフリータイムは、基本的に日本人社員とつるんでばっかりいた。他の国の人たちが、英語で交流し合っているのを見て、「いいなぁ、本当はあんな風に自然と話して仲良くなりたいなぁ」って指をくわえて見ていた。相手の言っていることは何となく分かっても、とにかく自分が考えていることを表現できないので、そんなことは不可能だと端から諦めていた。

 

また英語から逃げてしまった。そんな気持ちが心を支配していた。

いつになったらこの負のスパイラルから抜けられるのだろう。いつまで同じことを繰り返して、苦しみ続けるんだろう。そろそろこういう気持ちを抱くことを終わりにしたい、と漫然と思い始めていた。