シューマッハの風に吹かれて(Blowin' in the Wind of Schumacher)

日本でも少しずつ認知度が高まってきたSchumacher College(シューマッハ・カレッジ)大学院。しかし、まだ日本人の参加者も少なく、日本語での情報も少ない為、その実態が掴み辛いのが現状です。 そこで、少しでもシューマッハ・カレッジ情報を国内で広め、多くの方に興味を持ってもらいたいと思って始めたブログです。

僕はこうして英語アレルギーを育んだ⑥ ~中学・高校・大学時代~

 

英語が武器になった!?

 

日本に帰国した私は、ほどなくして帰国子女枠の中学校受験に挑んだ。曲がりなりにもアメリカで苦労してきたので、ある程度は戦えるだろうと思っていたが、第一志望校の試験に臨んだ私は愕然とした。長文読解の文章の意味が不明なのである。しかし、受験者数から考えると、補欠にも入らない人の方が少ない為、補欠には入るだろうと高をくくっていた。そして、合格発表。私の番号はどこにもなかった。その「少数派」に私は属していたのだ。こうして「英語力がない」ということをアメリカのみならず、日本でも早速突きつけられたのだ。

 

その後、別の中学校に入学した。初めての学ランに心を躍らせていた。その中学校には帰国生が何人かいて、アメリカに4~5年住んでいた人もいるようだった。私には到達できなかった「いいとこ」も経験できた人たちだ。(なお、「いいとこ」については、こちらの記事をどうぞ)話してみると、やはり自分とは英語力のレベルが全然違う。また、周りの人たちに彼らと同じ英語力があると思われるのも辛かった。英語アレルギーの黒い影がチラついてきた。

 

しかし、曲がりなりにもアメリカで苦労した経験が役に立ったらしく、学校でも塾でも、常に英語が他の科目を引っ張ってくれた。この頃は、本当に英語に助けられたと思う。しかし、英語に関して負け癖が付いてしまっている私にとっては、俄かには信じがたかった。今思えば、私の英語史上ではこの中学校時代が一番輝かしい時代だったと思う。

 

目減りしていく英語力

 

高校受験を経て、高校に入学した。英語力向上という観点で見た場合に、私にとっての失敗は大学付属校に入ってしまったことだろう。大学受験がない為、勉強するモチベーションがあまり沸かないのは当然の結果だった。その代わり、私は高校生活のほぼ全てを部活のバスケットボールに注いだ。その為、英語力という枠外では大満足なのだが、結果として英語アレルギーを増長させてしまった。

 

高校一年生の頃はまだまだ受験の貯金で何とかなったが、2年生、3年生と進むに連れて知らない単語や文法が増えていき、貯金は完全に取り崩していた。テスト前に付け焼刃の勉強をして、何とか点数を確保する、という身にならない勉強ばかりを繰り返していた。しかし、それでもある程度の成績を収めていたので、特に疑問視することなく、根本的な問題から目を背け、「今がいいからいいのではないか」という刹那的な姿勢を崩さなかった。なお、余談だがこの頃は英語だけでなく他の科目もあまり勉強せず、部活で筋肉と体力の向上ばかりに勤しんでいたので、朝練→1限後に弁当→昼休みに学食→練習前にお菓子→練習→コンビニでおにぎり→家で夕飯、と絵に描いたような部活男子の生活を送っていた。部活が休みの日は月曜日だけで、後は週末だろうが、祝日だろうが、文化祭だろうが、テスト前だろうが、構わず練習漬けだった。

 

外部生には敵わない

 

さて、そんな高校生活を送っているうちに、私の英語力が客観的にどうなっているのかが分からなくなってしまった。そして、大学入学を迎えた。大学には、受験戦争を勝ち抜いた猛者たちが跋扈していた。いわゆる、外部生の方々である。彼らに対して、受験勉強をしていない負い目を感じながら、生活を共にしていた。

 

そんな生活の何気ない会話の中で、「それって○○(英単語)だよね!!」と友人に言われ、「え?○○?」と私が返すと、「え?○○ってよく問題とかで出てきたじゃん!」と驚いた顔をされたときに、自分の英語力が同世代の中でどの辺にあるのかを、遅まきながら理解した。そして、英語の授業中でも、みんなが当然理解できている英単語を、いちいち辞書で引いていた。

 

そんな経験を通して自分は英語が出来ないという事実を認識したとき、「あぁ、またか」という感情が沸いてきた。また、アメリカ時代のような暗澹たる気持ちになった。

 

この頃は、昔アメリカにいたという事実をなるべく隠すようになっていた。大学には私のような「なんちゃって帰国」ではなく、10年選手のような「バリバリ帰国」の人が沢山いた。そして、彼らと私の実力差は自分が一番よく分かっている。また、周りの人が帰国生に対して期待する英語力には逆立ちしても届かないことも分かっていた。だからこそ、「昔アメリカにいたくせに英語力がない」と思われるのが本当に嫌で、アメリカにいたという事実をひた隠しにした。

 

 

そして、大学生活も終盤に差し掛かり、いよいよ就職となった。