シューマッハの風に吹かれて(Blowin' in the Wind of Schumacher)

日本でも少しずつ認知度が高まってきたSchumacher College(シューマッハ・カレッジ)大学院。しかし、まだ日本人の参加者も少なく、日本語での情報も少ない為、その実態が掴み辛いのが現状です。 そこで、少しでもシューマッハ・カレッジ情報を国内で広め、多くの方に興味を持ってもらいたいと思って始めたブログです。

シューマッハ・カレッジの受験記録: 全体スケジュール

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シューマッハ・カレッジ受験概要についてはこの記事に記載しましたが、「じゃあ実際にどれぐらいのスケジュール感で受験準備を進めればいいの?」という方に対して、少しでも参考になればと思って、私の受験記録をこれから何回かに分けて記載していきたいと思います。

 

そして、初回となる今回は、私の「受験準備~書類選考~面接~合格~その後」についての全体スケジュールを紹介したいと思います。まずは、上の図を見てください。これが全体スケジュールそのものです。(「たかだかブログの為に何こんな資料作ってるんだ。暇なのか。」という批判は予め認識しています 汗)

このスケジュールは結果的にこうなったわけではなく、年末年始に色々と考えた上で組み立てて、「このようなスケジュールでいこう!」と決めたものです。この通りに行かなくても随時修正しながら進めばいいと思っていたのですが、結果的にほぼスケジュール通りに事を進めることが出来ました。

 

まずは、どうしてこのようなスケジュールになったのか、ということについて順を追って説明したいと思います。

 

前提

  •  実は無職
    2012年12月末で退職した為、2013年は気持ちを新たに無職としてスタートしました(笑)。わざわざ受験の為だけに退職したわけではないのですが、色々な事情が重なって、このような身軽な状況で受験生活をスタートしました。その為、仕事を続けながら受験される方とはかなり前提条件が異なってしまう点を、予めご承知ください。

 

  • 絶対に外せないイベントがある
    退職する際には、「2013年は好きなこと・興味があることをとことんやる1年にしたい!」と強く思っていました。そして、2013年は私にとって絶対に外せないイベントが3つありました。それは、「冒険教育指導者養成コースへの参加」と「小笠原の放浪旅」と「シューマッハ・カレッジ受験」の3つです。シューマッハ・カレッジ受験はもちろんのこととして、それ以外にも2つあるので、これらをどうバランス取りながら進めていくかが、スケジュールに大きく影響しています。

 

このようにかなり好き勝手言っていますが、本人は大真面目でした(笑)。その為、年間スケジュールは以下の順番で決めていきました。

 

Step1
4月末~7月中旬(約2ヶ月半)は「冒険教育指導者養成コースへの参加」し、9月は丸々1ヶ月間「小笠原の放浪旅」に行くことは誰が何と言おうと決定。この時期(合計約3ヶ月半)は都心にいない為、きちんとした受験準備期間としてはカウントしない。

 

Step2
学校ホームページ上は2013年9月入学の受験情報が載っている為、自分が目指す2014年9月入学の受験情報の詳細はまだ分からない。おそらく、2013年入学が終わった秋頃(10月~11月)に、2014年9月入学の受験情報が学校ホームページに載ると予想されるので、本格的な資料の作り込みは、10月以降とする。
⇒実際にホームページ上で情報更新されたのは、10月末頃だった。

 

Step3
そうすると、1月~4月中旬(約3ヶ月半)と7月下旬~8月下旬(約1ヶ月)の合計約4ヶ月半が本格的な受験準備期間になるので、その使い方を考える。ここでは、受験情報の詳細が分からならなくても準備できるものに集中する。そうでないと、事前準備してたのに蓋を開けてみたら全然違った。。。。なんていう見事な「手戻り」を起こしたら目も当てられないので(笑)。そこで、以下の準備をすることにした。

  • 英語: 天地がひっくり返らない限り必要なので第一優先順位 ⇒1月~3月
  • 卒業証明書・成績証明書: これは大学に取りに行くだけだけど、忙しくなると学校に行くのも面倒なので早めに取得しておくべき(GPAも事前に計算できるし)⇒4月
  • レジュメ: 自分の履歴書や職務経歴書的なものは絶対に提出するだろうし、多少項目が異なっても大外しすることはまずない ⇒7月~8月
  • 志望動機書: これを聞かない学校はまずないし、自分の中でしっかりと棚卸しすることが後々の面接にも絶対に生きてくるのでMust ⇒7月~8月

 

Step4
ここまでやるべきことが決まってくると、「冒険教育指導者養成コースの参加中」と「小笠原の放浪旅中」にも何となくできることがあるんじゃないかと気づいてくる。両方ともパソコンを持っていくことは出来るので、がっつりではなくても、情報収集や不明点を学校に問い合わせる等をこの期間にやろうと決める。

  • 冒険教育指導者養成コースの参加中は、主に学校ホームページを見て重要点を洗い出しておくことで、7月以降のレジュメ・志望動機書の作成をスムーズにする
  • 小笠原の放浪旅中は、それまでに調べた内容での質問点や推薦状に盛り込むべきポイント等について学校側にメールで問い合わせる

 

これで完璧!!となりました。実際にここまで下準備をきちんと進めていたので、10月末に最新情報が更新されてから約3週間後には出願することが出来ました。備えあれば憂いなしですね。

 

次回以降は個別にどのようなことを行ったのかについて、順を追って説明したいと思います!!

 

シューマッハ・カレッジの入学費用

しばらく日が空いてしまいましたが、またまた検索ワードに応えるシリーズです。シューマッハ・カレッジの費用に興味を持たれている方が一定数いらっしゃるようですので、今回はどのくらいの費用がかかるのか、という点について書きたいと思います。

まず、こちらの記事にも書きましたが、シューマッハ・カレッジには大きく分けて、4日間~3週間程度の一般参加者向けのショートコースと、1年間のマスターコース(修士課程)の2つのコースがありますので、それぞれに分けて書きたいと思います。

予めお断りしますが、あくまでホームページ上に載っている情報のみを参照して記載している点にご留意ください。ホームページは、ショートコースはこちらマスターコースはこちらをご参照ください。

 

ショートコース

ショートコースは、その名が示す通り、比較的短期間でシューマッハ・カレッジのコースを体験できる点に特徴があり、(当たり前ですが)その授業日数に応じて費用も異なります。ざっと見たところによると、費用はざっと500ポンド~1,000ポンドの範囲内でしょうか。現時点(2014年6月13日時点)での為替レートですと、1ポンド≒173円なので、日本円に換算すると約86,500円~173,000円あたりです。(期間が長いものになると、2,000ポンド~5,000ポンドぐらいのものもありますが、ここでは開催コース数が多い1週間程度のものを元にしています。)

なお、この費用には、授業料・宿泊費・食費が含まれるようです。ということは、渡航費は含まれない為、これに更にフライト代がかかることになりますので、時期にもよりますが、フライト代12万円~20万円が上記の授業料にプラスされるイメージでしょうか。

そうすると、ショートコース参加費+フライト代を合わせると、合計約20万~37万円あたりの費用がかかることになります。もちろんこれは、参加するコースやフライト時期によってある程度変動することは、ご了承ください。

この金額、決して安いものじゃないですよね。これだけのお金があれば、大体の場所には海外旅行できるでしょうし、場所によってはかなり贅沢な旅行を楽しめるのではないでしょうか。裏を返せば、「これだけのお金を払ってでもショートコースに参加したい!」という人達が集まるので、その場で得られるものも普段とは違ったものになる、と考えることもできます。この辺はかなり考え方に個人差があると思うので、ここではあくまで「必要な金額」をご紹介するに止めておきます。

 

マスターコース(修士課程)

1年間もみっちり修士課程をやるとなると、やはりかなりの金額かかりますね。正直、自分で計算しても驚きました。しかも、初めて学費を調べたころは、まだ円高基調で1ポンド140円ぐらいだったのですが、その後じりじりと円安が進み、結果今の173円ぐらいまで来ちゃいましたので、それも手伝ってかなり金額が大きく見えてしまいます(笑)

詳細は下で説明しますが、結論からいうと日本人で学校寮に入りながら、Economics for Transition修士課程(1年間)という前提だと、26,980ポンドかかるので、同じく1ポンド≒173円だとすると、約467万円かかります!!!

 

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※略称: HS – Holistic Science; E4T – Economics for Transition; SHFP – Sustainable Horticulture and Food Production; EcoDT – Ecological Design Thinking.

 

学校ホームページに載っているこの図を見てもらうのが、一番分かりやすいと思います。費用内訳を細かくみると、

  • Tuition Fees(学費): 日本人だとほぼTier4ビザだと思うので、18,715ポンド(約324万円)
  • Food/accommodation(食費・寮費): 私は学校寮にしたので、8,265ポンド(約143万円)
  • Total(合計): 学費と食費・寮費を合計して、26,980ポンド(約467万円)

 

もし、学校寮ではなく自分で住まいを探すとするとFood/accommodationが1,900ポンドになるので学校に支払う費用は抑えられますが、その分別途家賃やら食費が掛かってくるので、結局は同じくらいのお金が必要になるのではないかと思います。

ちなみに、私は自分で家を探す手間等を面倒ということもありますが(笑)、学校寮に住むことで参加者と濃密な時間が過ごすことができると思ったので、学校寮を選びました。せっかく素晴らしい環境で勉強できるので、最大限それを満喫したい!ということです。

他の修士課程(Holistic Scienceやら、Sustainable Horticulture and Food Productionやら、Ecological Design Thinking)だと多少料金は異なりますが、それでもほぼ同じ水準となりますので、かなり大きな金額が必要となります。私はあまりお金を貯めてこなかったことを、この時に心の底から後悔しました(涙)

 

蛇足
あるとき友人から「出願料っていくらかかるの?」と聞かれて、そのことをすっかり忘れていたことに気が付きました。それで調べてみると、何とも男気なことが判明。シューマッハ・カレッジは出願料がかかりません。大事なことなので、もう一度言います。そうなんです、出願料がかからないのです。
書類審査したり、面接したり手間がかかるにも関わらず、出願料を取らないなんて、男気が溢れすぎてて泣けてくるじゃないですか。

なんだかこういうところに学校のカラーが出てるみたいで面白いですよね。

シューマッハ・カレッジの受験概要

このブログはどのブログランキングにもまだ登録していないですし、どこかにURLを書いて広めたりもしていないので、私が直接話した人(と言ってもまだ2~3人ですが。。。)か、GoogleやYahooで検索した人だけが見ているという、非常にマニアックなものです(笑)

 

それでも検索して辿り着いてきた方の検索ワードを拝見すると、シューマッハカレッジ入学に興味を持っていらっしゃる方も一定数おられるようです。これは私としても非常に嬉しいことであり、「是非ともシューマッハカレッジ仲間を増やしたい!」と常々思っているので、鉄は熱いうちに打てじゃないですが、早めにシューマッハカレッジ受験について書こうと思って、この記事を書いています!

 

※注意

シューマッハカレッジEconomics for Transition修士課程(2014-2015)を受験した際の経験を元に記載している為、これ以外の修士課程やショートコースや別年度の内容を担保するものではないので、あくまで参考情報としてお取扱いください。

 

受験の流れ 

大まかには、「1.書類選考 → 2.面接」の流れで受験は行われます。面接には書類選考通過者のみが招待される為、2段階でスクリーニングされているようです。それでは、簡単にそれぞれの内容を見てみましょう。

 

1.書類選考

実はこれが一番大変です。何せ提出書類が多く事前準備に時間がかかるので、なるべく早く着手した方がいいと思います。提出が求められる書類には、以下のものがあります。ちなみに、当たり前かもですが全て英文です。

 

①学校指定Application Form

応募コース、住所、VISA有無、英語スキル、学位・GPA、資格、コンピュータスキル、資金情報、推薦者情報等の基本的な内容を記載します。

 

②英語能力証明書

ホームページにはIELTS、TOEFL iBT、Pearson Test of English (PTE)が載っていますが、「Other equivalent English language qualifications may be accepted. Please contact the College for further information.」とも記載されているので、これ以外の試験でも大丈夫なようです。学校への詳細確認は必要ですが、もしかしたら日本で一番メジャーなTOEICももしかしたら受け入れてくれるかもですね。でもこの記事にも書いた通り、イギリスの国自体がTOEFLTOEICを認めない、という判断をしているので、IELTSを受けておくのが無難だと思います(元々、イギリス生まれのテストですし)。

求められるスコアは以下の通りですが、なかなか最初からこのスコアを持っている人は少ないと思うので、このスコアをクリアすることが最初の関門だと思います。実際に、私も泣きながら取り組みました(涙)。

 

【IELTS 】合計6.5かつreading, writing, listening, speakingが各5.5を超えている

TOEFL iBT】合計90かつlistnening 21; reading 22; speaking 23; and writing 22をそれぞれ超えている

【Pearson Test of English (PTE)】合計61かつ各要素が51を超えている

 

③推薦状2通

大学教授や職場上司の推薦状が2通必要となります。大学教授のものを1通入れるように言われていましたが、私の場合それが難しかったので個別にメールで相談しました。そしたら、大学教授のものが無くても大丈夫とのことだったので、2通とも元職場上司にお願いしました。ちなみに、「元」職場上司になっているのは、現在私が個人事業主の為、上司がいないので仕方なくそうしただけで、現在の上司でも全然問題ないと思います。(むしろ、その方が望ましいのでは!?)

 

④レジュメ(履歴書と職務経歴書のようなもの)

上記「①学校指定Application Form」にも記載欄があるのですが、欄が少々書きにくく、より自分をアピールする為には別添資料の方がいいと判断し、Wordで作成しました。学位情報は「①学校指定Application Form」に既に書いているので、ここでは職歴とその他にアピールしたい経験にフォーカスしてA4一枚にまとめました。

 

⑤志望動機書

これは実際には「①学校指定Application Form」の中に記載する内容ですが、一番重要なので敢えて切り出して記載しました。MBAのように凝った質問はないので、オーソドックスに志望動機やそう思うに至った経験等を詳しく記載すれば問題ないと思います。

 

⑥卒業証明書・成績証明書

大学に行って英文の卒業証明書と成績証明書を取得するだけですね。このときに、全く記憶にない科目名が成績証明書にあったときは、自分でも笑ってしまいました。そして、先生の顔を思い出せる科目の少ないこと。。。あ、あとこの成績証明書を元にGPAを算出しました。

 

⑦銀行残高証明書(もちろんポンド建て)

「We may wish to see evidence of your funding before offering you a place.」と記載があったので、このタイミングでなくてもいいのかもですが、どうせ後に提出するんだったら早めに提出しようと思って出しました。

ちなみに、銀行によって手数料やら発行日数やら必要なものは異なるので、事前に確認してから窓口に行った方がいいと思います。意外に待たされてヤキモキしますよ(笑)

 

⑧パスポートサイズ写真1枚

そのまんまです。

 

⑨Cover Letter(添え状は勝手に私が作りました。その方が丁寧だと思うので。)

これは必ずしも入れる必要はないと思いますが、作成した方がよりフォーマルになるし、何よりもCover Letter上に再度アピール文面を記載できるので、入れようと思い作成しました。Cover Letterは受け取った方が最初に目にする書類なので、可能な限り丁寧に、そして端的に熱意をアピールする文面を心がけました。

 

2.面接

面接まで来られれば、後はもう一息!あとはいかに上手く自分をアピールできるかですね。対面形式かSkype形式かを事前に問われました。本当は対面形式の方が面接しやすいのですが、当然渡英する時間とコストのことを考えて、Skype形式にしてもらいました。

面接後にはすぐに御礼メールを送りました。その御礼メールに返信する形で、シューマッハカレッジから合格連絡が来て、受験は終了となりました。

 

 

今回の記事では、あくまで受験はこんな感じで進むよ!ということを示したかったので、概略だけざっと説明しましたが、深堀が必要な内容については徐々に別のエントリーで紹介していきたいと思います。

 

 

僕はこうして英語アレルギーを育んだ⑦ ~社会人時代~

 

え、外資系!?

 

振り返ってみると英語アレルギーになったのは10歳だったので、新社会人になる頃には既に10年以上の英語アレルギーキャリアを持つ大ベテランである。そんな私の就職先となったのは、米系コンサルティング会社だった。日本帰国以来、一度もアメリカ本土に足を踏み入れていない私がアメリカ資本の会社に入るとは、人生は何が起きるか分からないから面白い。ちなみに、この会社に入社したのは、もちろん外資系だからではなく、コンサルティングという仕事そのものに惹かれていたからである。

 

この会社に入るのに英語力は必要なかった。また、仕事もほぼ全てのクライアントが日本企業だった為、英語を使うことはなかった。時々、全社員メールが英語で送られてくるが、内容が分からなくても全く業務に支障がなかったので、やはり英語力は必要なかった。一般的にイメージされるような、外国人の上司がいて、クライアントも外国人で、といった外資系企業とは全く異なる会社だった。

 

しかし、そんな会社でも2つだけ英語力が必要になるタイミングがあった。1つ目は昇進時、2つ目は海外研修時だ。1つ目の昇進時については、予め定められたTOEIC点数をクリアしなければいけないというものだった。あまり高い基準ではなかったが、仕事で使いもしない英語が昇進条件とは納得がいかないが、ルールだから致し方ない。2つ目の海外研修時については、昇進するタイミングで海外研修を受ける必要があるのだ。この研修には、海外各国から同じ職位のメンバーが集まって研修するのだが、もちろん全て英語を使用する。

 

トラウマ

 

私にとってはこの海外研修が鬼門だった。何故ならば、研修を受けるときのシチュエーションが、アレルギーを植え付けられたアメリカで授業を受けていたときと酷似していたからだ。外国人とグループを組んで、みんなでディスカッションをして、グループとしての結論を出す。まるで、昔に経験した内容と全く一緒ではないか!!いわゆる、デジャヴだし、トラウマである。その状況に身を置くだけで、自然と嫌な感情が芽生え、体が硬直してくる。

 

研修中は貝のように閉じることが多かった。そして、研修後のフリータイムは、基本的に日本人社員とつるんでばっかりいた。他の国の人たちが、英語で交流し合っているのを見て、「いいなぁ、本当はあんな風に自然と話して仲良くなりたいなぁ」って指をくわえて見ていた。相手の言っていることは何となく分かっても、とにかく自分が考えていることを表現できないので、そんなことは不可能だと端から諦めていた。

 

また英語から逃げてしまった。そんな気持ちが心を支配していた。

いつになったらこの負のスパイラルから抜けられるのだろう。いつまで同じことを繰り返して、苦しみ続けるんだろう。そろそろこういう気持ちを抱くことを終わりにしたい、と漫然と思い始めていた。

 

僕はこうして英語アレルギーを育んだ⑥ ~中学・高校・大学時代~

 

英語が武器になった!?

 

日本に帰国した私は、ほどなくして帰国子女枠の中学校受験に挑んだ。曲がりなりにもアメリカで苦労してきたので、ある程度は戦えるだろうと思っていたが、第一志望校の試験に臨んだ私は愕然とした。長文読解の文章の意味が不明なのである。しかし、受験者数から考えると、補欠にも入らない人の方が少ない為、補欠には入るだろうと高をくくっていた。そして、合格発表。私の番号はどこにもなかった。その「少数派」に私は属していたのだ。こうして「英語力がない」ということをアメリカのみならず、日本でも早速突きつけられたのだ。

 

その後、別の中学校に入学した。初めての学ランに心を躍らせていた。その中学校には帰国生が何人かいて、アメリカに4~5年住んでいた人もいるようだった。私には到達できなかった「いいとこ」も経験できた人たちだ。(なお、「いいとこ」については、こちらの記事をどうぞ)話してみると、やはり自分とは英語力のレベルが全然違う。また、周りの人たちに彼らと同じ英語力があると思われるのも辛かった。英語アレルギーの黒い影がチラついてきた。

 

しかし、曲がりなりにもアメリカで苦労した経験が役に立ったらしく、学校でも塾でも、常に英語が他の科目を引っ張ってくれた。この頃は、本当に英語に助けられたと思う。しかし、英語に関して負け癖が付いてしまっている私にとっては、俄かには信じがたかった。今思えば、私の英語史上ではこの中学校時代が一番輝かしい時代だったと思う。

 

目減りしていく英語力

 

高校受験を経て、高校に入学した。英語力向上という観点で見た場合に、私にとっての失敗は大学付属校に入ってしまったことだろう。大学受験がない為、勉強するモチベーションがあまり沸かないのは当然の結果だった。その代わり、私は高校生活のほぼ全てを部活のバスケットボールに注いだ。その為、英語力という枠外では大満足なのだが、結果として英語アレルギーを増長させてしまった。

 

高校一年生の頃はまだまだ受験の貯金で何とかなったが、2年生、3年生と進むに連れて知らない単語や文法が増えていき、貯金は完全に取り崩していた。テスト前に付け焼刃の勉強をして、何とか点数を確保する、という身にならない勉強ばかりを繰り返していた。しかし、それでもある程度の成績を収めていたので、特に疑問視することなく、根本的な問題から目を背け、「今がいいからいいのではないか」という刹那的な姿勢を崩さなかった。なお、余談だがこの頃は英語だけでなく他の科目もあまり勉強せず、部活で筋肉と体力の向上ばかりに勤しんでいたので、朝練→1限後に弁当→昼休みに学食→練習前にお菓子→練習→コンビニでおにぎり→家で夕飯、と絵に描いたような部活男子の生活を送っていた。部活が休みの日は月曜日だけで、後は週末だろうが、祝日だろうが、文化祭だろうが、テスト前だろうが、構わず練習漬けだった。

 

外部生には敵わない

 

さて、そんな高校生活を送っているうちに、私の英語力が客観的にどうなっているのかが分からなくなってしまった。そして、大学入学を迎えた。大学には、受験戦争を勝ち抜いた猛者たちが跋扈していた。いわゆる、外部生の方々である。彼らに対して、受験勉強をしていない負い目を感じながら、生活を共にしていた。

 

そんな生活の何気ない会話の中で、「それって○○(英単語)だよね!!」と友人に言われ、「え?○○?」と私が返すと、「え?○○ってよく問題とかで出てきたじゃん!」と驚いた顔をされたときに、自分の英語力が同世代の中でどの辺にあるのかを、遅まきながら理解した。そして、英語の授業中でも、みんなが当然理解できている英単語を、いちいち辞書で引いていた。

 

そんな経験を通して自分は英語が出来ないという事実を認識したとき、「あぁ、またか」という感情が沸いてきた。また、アメリカ時代のような暗澹たる気持ちになった。

 

この頃は、昔アメリカにいたという事実をなるべく隠すようになっていた。大学には私のような「なんちゃって帰国」ではなく、10年選手のような「バリバリ帰国」の人が沢山いた。そして、彼らと私の実力差は自分が一番よく分かっている。また、周りの人が帰国生に対して期待する英語力には逆立ちしても届かないことも分かっていた。だからこそ、「昔アメリカにいたくせに英語力がない」と思われるのが本当に嫌で、アメリカにいたという事実をひた隠しにした。

 

 

そして、大学生活も終盤に差し掛かり、いよいよ就職となった。

 

僕はこうして英語アレルギーを育んだ⑤ ~少年時代その4~

 

アメリカの頃の少年時代シリーズは今回を最後にしたいと思います。本当はもっと色んなネタを書きたいところですが、あまりこの時期にフォーカスし過ぎても、なかなか先に進まないので(笑)。

 

悲しさと嬉しさと不甲斐なさと

 

さて、色んな苦労をしながらも日々が過ぎ、何とか約2年間の月日が経った。ちょうど新学年になった頃、履修する授業に変更があった。これまでは、ESL(English as a Second Languageの略)という英語を母語としない生徒の為の英語を学ぶ授業があったが、今後はアメリカ人と完全に同じ授業を受けるというのだ。レギュラークラスと呼ばれていたその授業は、国語や社会といった英語が分からないと話にならないようなクラスが対象となる。つまりこの授業変更は、英語ができるようになったということを学校がお墨付きを与えてくれたようなものである。会社で言うならば「昇進」で、将棋で言うならば「成り」みたいなものだ。

 

ESLクラスの生徒は、なるべく早くレギュラークラスに異動して、アメリカ人と同じ授業を受けたい、という気持ちを持っている人が多い。そうすれば、飛躍的に英語力が伸びるからだ。そして、ついに私にもその時がやってきたのだ。2年間苦汁を舐めながら、地べたを這いずり回りながら、色んな苦しい経験を糧に、少しずつ英語力を上げてきた。そして、ついにその苦労が実を結ぶときがきたのだ!何かに表彰されたような誇らしい気持ちだった。しかし、やはり現実は厳しく、そんな気持ちは一瞬にして消え失せた。

 

私は完全に勘違いしていた。レギュラークラスに上がれるということは、「レギュラークラスでやっていけるだけの英語力が備わっている」ことだと思っていたが、現実は「レギュラークラスでやっていけるだけの英語力に『なれる素養』が備わっている」だったのだ。当たり前だが、この「既に備わっている」状態と「素養がある」状態には大きな差だ。そして、そんな差があるなんて誰も教えてくれるわけもないので、すぐに骨身に染みる体験をすることになった。

 

レギュラークラスに上がったぐらいでは、英語力が圧倒的に不足している。授業は何を言っているのかよく分からない。私が英語を出来ないと知らずに普通に話しかけてくる生徒もいる。しかし、私がうまく返答できないでいると、不思議な顔をしたり、がっかりした表情をする。悪気のない少年少女の反応だからこそ、余計に申し訳ない気持ちになる。そんな日々を過ごしていたある日、グループを組んでディスカッションすることになった。既に私の英語力のなさがクラスにも知れ渡っていた為、私と積極的に組もうとする人はいなかった。それでもどこかのグループに何とか参加させてもらった。私がグループに大した貢献もできない味噌っかすであることは自明の理である。それでも、温かく迎えてくれる生徒もいた。

 

実際にディスカッションが始まると当然私は付いていけない。それでも親切な生徒は、私が蚊帳の外にいることを気遣ってか、話題を振ってくれた。しかし、うまく応えられない。そのうち別の生徒が、「こんな奴に聞いたって無駄だよ!」と言い始めた。それぐらい私にだって分かる。それに言葉と関係なく、侮辱されている雰囲気を人間は不思議と察知できるものである。とても悲しい気持ちになった。「まただ」と思った。でもそんなことはこの国に来てから何度も経験しているので我慢は慣れたものだ。しかし、別の生徒が私をかばってくれたのである。この事態を予想していなかった私は不意を突かれた。

 

単純に嬉しかったのだ。そして、同時にそんな親切心に応えられない自分をとても不甲斐なく感じた。気付いたら目から涙が溢れ出していた。あまりにも突然のことで、自分でも何が起きているのか分からず必死に隠そうとしたが、そんな気持ちとは裏腹に、止め処なく涙が流れてきた。すぐに別の生徒が気付き、先生も異変に気が付いた。恥ずかしくて穴があれば入りたかった。あまりの恥ずかしさに混乱し、その後どのようなやり取りをしたのかは覚えていないが、とにかく思いっきり涙を流してすっきりした気持ちになったことだけは覚えている。

 

なぜこのタイミングで・・・

 

そんな経験もしながら、レギュラークラスに食らい付いて2カ月が経った。少しずつだが、英語力も上がってきた。このまま後一年ぐらい頑張れば、飛躍的に伸びるだろう。そうすれば、これまでのような苦労はせずに英語で生活ができる。そんな予感もしていたし、先人達も皆同じ道を通ってきたと言っている。そんな矢先に、両親から告げられた。「日本へ帰国することになった」、と。

 

この2年間は基礎固めのときだと思っていた。スポーツで言うならば、走り込みをして基礎体力を付けて、シュートやフォーメーションの基本技術を身に付け、やっと練習試合に出られるようになった。そこまでは来た。後は、何回か練習試合で実戦経験を積めば、いよいよ公式戦デビューの見通しまで立った。そんな頃に故障して、練習すらもできなくなってしまった。そんな気分だった。

 

一番辛くて、一番地味で、一番地道な基礎固めの経験を我慢できるのも、公式戦で活躍する姿を夢見るからこそである。すぐそこまで見えたそんな公式戦の夢が、手からすり抜けて行った。大きな失望感を感じた。帰りたくない、と両親に交渉はしてみたものの、そんな子供の要求は、会社の転勤という大人の事情の前では、あまりにも無力なものである。帰国する方針が揺らぐことはなかった。こうして私は、後一年間いれば花開いたであろう英語力をアメリカに置いて日本に帰国した。

 

この経験を私は、「いいとこ取り」ならぬ、「悪いとこ取り」と呼んでいる。その先に待つ楽しい部分だけ残して、苦しい部分だけを経験してきたからだ。結局、約2年2か月アメリカにいたことになるが、その間いつも気を張って、常にファイティングポーズをとり続けて、闘い続けてきたと思う。号泣する自分の嗚咽する声で朝目覚めたこともあった。枕があまりにも涙で濡れていて驚いたのを覚えている。それだけ追いつめられていたのだろう。しかし、結局、圧倒的な敗北感を携えて日本に帰国することとなった。

 

私の英語の原点は全てこのアメリカ時代にあり、人格形成期の少年時代の経験だったが故に、英語アレルギーは深く、そして広く浸透していってしまった。このことは、当時の私はまだ知る由もなかったが、年齢を重ねるに連れて、そのことを実感していった。

 

 

次回からは日本に帰国後の中学校時代以降を書いていこうと思います!!

 

TOEICとTOEFL イギリスビザ申請に使用できない!?

 

2日前ですが、こんなニュースが飛び出し本当に驚きました!

 

TOEICとTOEFL、英ビザ申請に使えず 4月から

 

 英語力の証明に使われる国際的な検定試験「TOEIC(トーイック)」と「TOEFL(トーフル)」が、今月から英国ビザの申請に使えなくなったことが分かった。英国での試験で不正が発覚したため。TOEICの日本事務局は、英国渡航目的の受験者に受験料を返金する方針だ。

 

 留学支援業者によると、ビザを取得して英国の大学や大学院に留学する日本人は推定で年2千人。このほか、就労や移住を計画する人にも影響が出ている。

 

 きっかけは、2月の英BBCの報道。ロンドンであったTOEIC試験で、替え玉受験や試験監督が解答を読み上げる不正が行われていたと報じた。

 

 TOEICとTOEFLを運営する米国の非営利団体ETSは、英国で「下請け業者による違法行為」を確認し、英内務省と結んでいた、英語力証明に使うための契約を更新しないと今月17日に発表した。TOEFLも同じ契約に含まれており、ビザ申請には使えなくなった。同省も「英語力証明の根拠として、ETSが行うテストの受け入れを停止した」と発表した。

 

2014年4月25日05時08分

引用元:http://www.asahi.com/articles/ASG4S5W6LG4SUTIL03C.html

 

これは留学生にとっては衝撃的な出来事だと思います。

 

一番影響を受けるのは英国大学・大学院へのApply時にTOEFLを使用し、既に合格して今秋から留学が決まっていた方達でしょう。(なお、私はIELTSで大学院へApplyしたので、幸いにもこの決定による影響はありません。こんなことが起きるなんて夢にも思わなかったけど、助かった。。。)

 

もちろん、まだ受験生の方も大変だとは思いますが、まだ受験真っ只中なのでスキル的にもTOEFLからIELTSに変えることはできると思いますし、まだ時間にも余裕があると思います。それにTOEFLで勉強してきたことはIELTSでも、もちろん生かせるので無駄はありません。

 

一方で、既に留学が決まっているTOEFL生は、これからビザ申請をすると思うのですが、その前にIELTSを受け直さなければいけません。これは、2つの意味でハードルが高いのではないかと心配しています。(もっとも、精神的ショックが一番大きいと思いますが。)

 

一つ目は、IELTSは受験申し込みの締切が1か月前だということです。記事が発表されたのが4月25日ですので、それから最短で受験申込が間に合うのは5月2日締切の、6月7日受験です。もちろん、それ以降の受験日も、6月21日、6月28日、7月12日、7月19日、7月26日あたりがありますが、あまり後ろの方になると「もしスコアがとれなかったらどうしよう」と心配になり、精神衛生上よくないでしょう。なお、受験日の詳細は、こちらをどうぞ。

 

二つ目は、IELTSを受け直すにしても、既に受験から遠ざかっている場合がほとんどだと思います。さらに、いままで受けたこともないIELTS。TOEFLはPCで受験しますが、IELTSは基本はペーパー試験です。もちろん、問題傾向も違います。このような様々な事情の中で、仕事をしながら、もう一度試験勉強をすることは本当に大変なことだと思います。

 

私はイギリスを目指す受験仲間があまりいなかったので、この影響を受けた直接の知人友人はいません。でも、世の中には数多く影響を受けた方がいらっしゃると思います。これからIELTSを受験される方は、自分を奮い立たせるのが大変だと思いますが、がんばってください!!!